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やっと出会えたMary Lou Williams

これまで15人のジャズジャイアンツを取り上げてきましたが、
メアリーに出会うために、このStory of Jazzの企画を続けてきたのではないかと思います。
メアリーの音楽は私がジャズに対して漠然と感じていたことを、
一つ一つ具体的にわかるようにしてくれました。

メアリー・ルー・ウィリアムスはジャズ歴史そのものを体現する音楽家です。
これはジャズに限らず音楽全般に言えることですが、
ジャズは苦しみ(ブルース)から生まれた音楽です。
歴史を築いてきたミュージシャンたちが平和への願いを込めて、
常に挑戦しながら次の世代に受け渡すべく、その生まれ持った苦悩を美しく愛のある音楽へ昇華させました。
これ故ジャズは癒しの効果が高いと言えます。

私たち日本で暮らす人々にとって、遠い国の知らない音楽ではなく、
まるで、小さなコミュニティーのシャーマン的音楽家が、
祈りを込めて演奏するのに同席するような、
個人的な癒しの効果がある音楽だということ。目に見えない音楽の世界は、
生きていくためにどうしても必要ないかもしれませんが、こうした日常的な音の処方箋は、
生活の中に大切なものです。

日本にいてブルースを直接体感することはなくても、人間としての魂の叫びは、
世界の音楽に通じるものです。そして、ジャズの面白いところは、
土着的な民謡の要素もありながら、国境を越え、時代を超え、常に進化、発展しながら進む音楽だということ。

人生のどの段階で聴いても、その時の自分に寄り添い、
次のステップへ導いてくれる音が見つかるのがジャズという音楽だと思います。
そこには、ミュージシャン達の戦いと調和、平和への祈りが刻まれています。

メアリーの音楽からはそのようなメッセージが伝わってきます。
こんなに素晴らしい音楽家がなぜそこまで知られていないのか、
メアリーが活躍した当時、女性でピアニストで名をあげることの難しさを改めて痛感します。
いずれにしろこれからもっともっと再評価される天才です。

もっとMary Lou Williams を知りたくなるメアリートリビア・第1回


「メアリーは常に”一番”が好き」

メアリーは常に自分をチャレンジの状況に置く人でした。
成功し、名声を得た後もその姿勢を崩さず、
晩年まで驚異的な集中力と意志の力で、
様々な挑戦を続けました。
メアリーが成し遂げた数々の”一番”の一例は…

・ZODIC SUITE
シンフォニーオーケストラで演奏される、
最初のジャズの作曲家の作品。

・トランペットの帽子奏法
今では一般的になった、
ハットミュートを最初に考えたのはメアリー。
音色の変化が欲しかったため
帽子でミュートしたのが始まり。

・ピッツバーグジャズフェスティバルのプロデュース ..

▶︎アフリカ系アメリカ人がプロデュースする
▶︎メアリーの教会音楽のフェスでの演奏を委託される
▶︎カトリック教会がジャズフェスティバルの運営に関わる

…という、3つの史上初の達成。

メアリーのフレーズは数々の音楽家の、
インスピレーションの源泉になっていて、
例えば「Rhythm-a-Ning」のように、
今はスタンダードとなった曲も、
元をたどればメアリーのビッグバンドアレンジの一節。
それらの曲で後の音楽家たちはスターになりますが、
メアリーにはクレジットが入ることはありませんでした。
常に時代の先を行き、どこにも分類されなかったメアリー。

当時まだ、彼女の音楽を理解して、
分析できる人がいなかったため、
彼女が評価を得るには、
一層の年月と奮闘が必要になったのです。

もっとMary Lou Williams を知りたくなるメアリートリビア・第2回


「Zodiac Suite (12宮星座組曲)」
史上初のジャズ作曲家によるフルオーケストラ作品!

----盗まれた音源、低予算による失敗----

ほぼ自腹でカーネギーホールで開催するものの、リハーサルが足りず、
本番は失敗に終わってしまう「Zodiac Suite」。
本番中にロストするプレイヤーが続出、
指揮者はスコアを1ページなくすなどトラブルが続き、
メアリー自身血管が噴き出すのではと思ったと自伝に書かれています。
極め付けは録音テープが盗まれたこと。
泥棒バロンのあだ名で、個人的な録音を勝手に販売することで知られるジャズパトロンの、
Timme Rosenkrantzに盗まれ、メアリー自身2度と聞くことはなかったそうです。

次のオーケストラとの共演のチャンスはNorman Granzが企画した、
交響楽団とJazzのコラボレーションのコンサート。こちらも予算がなく、
100人分のパート譜を全部メアリーが自分で書きました。
ジャズのことを何もわかっていない若い指揮者をあてがわれ、
リハーサル不足とメアリー一人で写譜したことによる細かいミスが重なり、
再びロストするプレイヤーが続出。メアリー自身が指揮をし、ピアノを弾き、
個人プレイで何とか切り抜けます。
Zodia Suite同様、お金と時間をかけることができれば、
歴史に残るものになったでしょう。
この公演の録音も(まだ前回のテープ紛失がバロンの仕業だと知らない)バロンに、
しっかりとテープを守っていて、と頼んだメアリー。
今回の録音もまた消えてしまうのでした。
出典:What’s your story morning Glory by Linda Dahl

もしも、もっと環境が整っていれば、間違いなく歴史に残る作品になったであろう、
ということは幸いにも残っているZodicのスコアを見るとわかります。
しかし、メアリーの逆境でもやり通す意志の強さには脱帽です。
人が雇えなければ、自分でパート譜を100人分書いたりと、
何が何でもやり遂げる強烈なエネルギーです。
すぐに花は咲かなったけれど、メアリーが蒔いた種はまさに今、
少しずつ芽が出てきていると思うのです。

もっとMary Lou Williams を知りたくなるメアリートリビア・第3回
もはやトリビアではない気がしますが、気にせずに参りましょう。


メアリーの音楽は広い!

メアリーはその類まれなる重厚なスイングを創出できるプレイヤーとしてだけでなく、
アレンジャー、作曲家としての評価が高いです。
しかしながら、最初のブレイクとなるAndy Kirkグループへの入団も黒人の女性だからという理由で、
一筋縄ではいかず、最終的にはメアリーの曲が評判を呼び、
彼女を入れないと録音させないというプロデューサーが現れ、しぶしぶ入団を認められます。
どこかに必ずわかってくれる人がいるというのが救いですが、そんなに苦労をしなくても、
もっとストレートにスターになっても良い才能の持ち主のはずですよね。

Benny Goodmanなど著名人への数々の楽曲の提供しており、
最低でも47曲 Duke Ellingtonの楽団のために編曲しています。
メアリーの真実を追求する演奏スタイルは多くの音楽家に支持され、
前衛の大家として知られるCecil Taylorもメアリーのライブに足繁い、
ついには二人でカーネギーホールでの二台ピアノコンサートを実現させます。
その半年以内には、また同じカーネギーホールで、今度はBenny Goodmanとの再会コンサート。
最先端のはるか先を行くCecilと前時代の王様のBennyとの共演。
なかなか誰にでもできるものではなく、
メアリーは満足そうに「これで全ての演奏に関わったと言えるわ」といったそうです。

こんなに素晴らしい振れ幅を持つメアリーがなぜ、音楽家として生きていくのに、
こんなに苦労したのか、メアリーの自伝の中に興味深い記述がありますので是非読んでみて下さい。

〜〜〜〜以下引用〜〜〜〜

「彼女の成功、性別、年齢、すべてが障害だった。男性共演者は皆メアリーに敬意を払ったが、
当時の男性にとって女性を雇うという事は必要以上に気をつかう事でもあった」
1940年代 メアリーはCafe Societyで一流の評価を得るが1940年代評論家は、
どのように黒人女性ピアニストを評価したらよいのかわからずにいた。
例えばタイムマガジンはメアリーを鍵盤の上の子猫とした上で、
まるで精力溢れる黒人のマスターから聞こえてくるような、硬質でうぬぼれない、
肉と骨のようなジャズピアノを筋骨たくましい若い黒人女性が弾いている。とした。
別の雑誌は何の変哲も無い少女がソリッドなブギウギを弾いているとレビューした。
フランスのジャズ評論家 Hugues Panassie目を閉じて聞いたら誰も女性だとは気がつかないはずだ、と評した。
これは女性は世間に真剣に受け止めてもらうには男性のように演奏することが必須だという、
ジレンマの証明でもある。メアリーはよく自慢げに自分は男性のように重く弾けると語った。
実際は自分自身のように重く演奏していたのだが。

〜〜〜〜以上引用〜〜〜〜

もっとMary Lou Williams を知りたくなるメアリートリビア・第4回


「 “Hamilton Terrace” はミュージシャンのサンクチュアリ」
(写真はS.O.Jのサンクチュアリ、大倉山記念館。)

〜〜以下引用〜〜

1942年からNYのハミルトンテラスに暮らす。仲間が音楽のために立ち寄ったり、
食卓を囲んだり、休息の場として、
そしてAfter Hoursのセッションで音楽的実験を繰り返す場としてのメアリーの理想の空間。

Hamilton Terraceはミュージジャンにとって天国のような場所だった。
朝方4:00頃演奏を終えると何人ものミュージシャンを家に連れて帰って、そうでない人は家で集合して、
みんな午前中、時には仕事に行く直前まで家で演奏した。
Bud Powell, Tadd Dameron, Monk, Miles, Mel Torme, Sarah Vaughan, Dizzy はみんな来ていた。
Benny Goodmanも来た。そこに集うのは、たまにはスターも来たけれど、
ほとんどはまだ名の知られていない新人達だった。

1940年代52nd Streetはヘロイン中毒者で溢れていた。
仲間たちがどんどんヘロインに汚染されていくのを見るのは苦痛だった。
ここからメアリーの人生をかけた仲間を救う十字軍活動が始まる。
ヘロインのせいで日常生活が送れなくなった仲間に食料を届け、家を掃除した。
でもどんなに努力しても力が及ばない事の方が多く、メアリーに終わりのない苦痛を与えた。

〜〜上記引用〜〜

メアリーの音楽はまた、個人的な音楽でもあります。
Zodiac Suiteが一人ひとりの星座友人に宛てた音の手紙であることからもわかるように、
音楽を通して魂の交流と癒しの効果を本能的に理解していたのでしょう。

もっとMary Lou Williams を知りたくなるメアリートリビア・第5回


「 ミュージシャンのテレパシー ⇨ スピリチュアルジャズ」
メアリーの伝記より(翻訳はMiya) 〜以下引用〜 

メアリーは子供の時から魂(精霊)が見えた。
例えば、ある日畑を歩いていたら、小さな犬が見えてそれが牛へと変化していった。
ずっと人生を通して様々なものが見えていた。この”見える”能力はミュージシャンとしては有効なものだ。
一時期、演奏しているミュージシャンが次に何の音を演奏するか聞こえる時があった。
この能力はコントロールできないから、予測不可能なことに対応する能力、
音楽の中の即興にも大変に役立った。メアリーの透視力はヴィジュアルだけでなく、
音楽家として感情の情報を音から拾い集めた。

超自然的な出来事に慣れていたメアリーは、
1952年からの二年間のヨーロッパ滞在で人生最大の神の啓示を受ける。
マリアのイメージをみたメアリーはここから宗教的精神世界の探求に突き進む。
ショービジネス、裕福な人々、ミュージシャンやナイトクラブのオーナーさえも重要に感じなくなり、
今までどおり活動を継続するのが不可能になる。

1956年アメリカに帰ってきてからメアリーは祈るべき人の名前のリストを作った。
900名にも昇るそのリストはのちに1000を超える。
毎日の習慣の大量の祈りにくわえて、聖霊や守護霊に彼らの肉体的精神的苦痛を取り除くように祈った。
(祈り終わるまでに教会で9時間以上いなければいけなかった)
のちに彼女のスピリチャルアドバイザーとなる Anthony Woods牧師がまず最初に教えたことは、
メアリーが毎日祈っている1000人以上のリストをどうやって一人ひとり名前を挙げずに行うかだった。

メアリーが音楽を止めていた、と言っても、一般社会での演奏を止めていただけで、
音楽から完全に身を引いていたわけではない、とみる人が多い。
メアリーは教会のイベントなどでたまに演奏していた。
実際に一般的に音楽家はコマーシャルな側面ばかりが強調されるが、
学校、教会、自宅などでの音楽活動が光を浴びることはまずない。
もしも質の良いアーティストだったら両方の領域は重要なはず。メアリーはその素晴らしい一例だった。
真の音楽家である。

各方面からの熱い要望により徐々にスピリチュアルジャズで演奏復帰。指先を通して祈っていると語る。

~以上引用~ 

一度決めたら徹底的に自らを捧げる性質の持ち主。
完璧主義だからこそ成し遂げた功績も多いにありますが、
その裏には並大抵ではない苦渋があったのですね。

もっとMary Lou Williams を知りたくなるメアリートリビア・第6回


「 女性として/メアリーの再評価。」

ミュージシャンは良い作品を作るためお互い愛し合うようにできていると語るメアリー。
これは男女を超えた友愛ですが、若い頃のメアリーは恐れを知らない恋多き女性でした。
最初の結婚は16歳の時。当時在籍していたバンドのリーダー、John Williamsと結婚します。
当時の音楽家は巡業が多く、気に入った相手とペアを組むのは女性にとって身を守る手段でした。
後に別離を選ぶ二人ですが、Johnは積極的にメアリーを大物演奏家に紹介し、演奏の機会を後押ししました。
女性であるというだけで、ステージに上げてもらえないことが多い時代の中、
音楽のチャンスを導いてくれる人を選んだのは、運命と音楽家としての使命に忠実だったのでしょう。
私の欠点は音楽が素晴らしいと思う人に恋をしてしまうことだとも語っているメアリー。
ジョンと別れた後も、Williams姓はキープしたまま(おそらく変更が面倒だった)、
スピリチュアルジャズにシフトするまでは、数々の恋愛をくりかえし、創作のエネルギーに変えてきました。

メアリーの良き友人であり、ともにCafe Societyで活躍した超絶技巧のピアニストHazel Schottもそうですが、
彼女たちの時代に女性として男性と対等に活躍するには、
誰が聞いてもわかるぐらい圧倒的に男性より上手いことだけでなく、見た目も麗しく、
さらに自分の意見もしっかりと発信できる女性でないと表舞台に出ることは難しく、
それらをクリアして一度として出ることはできても、地位を継続することはさらに難しいことでした。

メアリーには女性ならではの何が何でも押し通す強さがあると思います。Zodiac Suiteの製作の経緯を見ても、
普通だったら絶対に無理という環境が整っていない状況で、誰の助けも借りず、
結果は望むものとは遠かったととしても、とりあえず実現させてしまう強さ、
これは女性ならではのような気がします。環境が整うまで待っていたら、
実現できなかったかもしれないですが、もしも同じ音楽の天才、
ジャコがデビューアルバムを作った時のようなサポート体制がメアリーにあったら、
どんな作品に仕上がっていたかどうか、想像するとその彩りの豊かさにワクワクします。

そして、一度でも実現させてしまえば、必ず後を引き継ぐものが現れます。
カンザスシティで活躍したミュージシャンの伝記を読むとメアリーの名前が必ず上がります。
幸いにも残っているスコアや音源からメアリーの再評価はどんどん高まっています。
2015 年にはCarol Bash 監督によって「The Lady who swings the band」が製作されました。

映画のサイト (写真がたくさん見れます)
http://marylouwilliamsproject.com/

残念ながら日本で本編は見れないですが、
こちらのトレイラーでメアリーの肉声が聴けます。


現代のミュージシャンによるメアリーへのコメント



もっとMary Lou Williams を知りたくなるメアリートリビア 番外編


「 譜面がない!」

数多くの作編曲を世に残したメアリー。譜面を書く能力も抜きん出ていて、
移動中のバスの中、ライブの楽屋、なんと本番中、左手で演奏しながら右手アレンジの仕事をしていたそう。
ちなみに一番のお気に入りの場所はベッドの中で書く事。
自身も譜面を書きながら演奏する能力は私の最も誇りに思う実績だ、と語っています。

メアリーが名を不動のものにしたカンザスシティでの演奏スタイルは即興性が多く、
その場で音で作っていくのは簡単でも実際に譜面に書くと複雑になってしまうケース多々があります。
それもあってか、メアリーの譜面はジャズのスタンダードナンバーの元になっているものも多いのに、
セッションでできるような簡単な形式の譜面はほとんど存在しないようです。

ビッグバンドのスコアは何点か出版されていますが、結構な高額商品で、
欲しいものを全部買っていたらただでさえ赤字の企画が大赤字になってしまいます(笑)。

というわけで今回取り上げる曲はほとんど自分で音源から採譜したものです。
実際にメアリーたちも耳を重視して音楽を作っていたわけだし、このやり方で正しいとは思うのですが、
それにしても膨大な量でした。

一番大変だったのは、Zodiac Suite。12曲全部を採譜したのですが、残念ながら、
その参考音源となるメアリーのソロピアノのCDの音質が決してよくありません。
(おそらく低予算で作られたのでしょう)。さらにオークションで貴重な、
バロンに盗まれたシンフォニーバージョンのCDも高額で(涙)購入。
こちらもそもそもコンサート自体が失敗している上に音質も良くない。(それでもメアリーのチャレンジ精神と、何が何でもやり遂げるという強い意志が全編から感じられる点では買った事を全く後悔させないです)
なんとかこの2つの音源を比較しながら12曲採譜しました。

メアリーの和音は仲間内から「ゾンビコード」と呼ばれていただけあって、かなり重厚なものです。
(今では一般的となった和声も当時のミュージシャンたちは聴いたこともないようで、
ゾンビ音楽のように聴こえたのでしょう)。

どうしても音源から聞き取れないところがあって、思い切ってオーケストラのスコアを購入しました!
出費は痛かったですが、細かいところまで全部何がやりたかったのかわかるので、
メアリーから直接レッスンを受けているみたい。そう思えば安いものです!

スコアの編集したJeffery Sultanofさんも、
貧しい音源のクオリティとメアリーが一人で写譜した事による(通常はチームを組んで行う作業)細かいミスを、
どうするかの判断で苦戦したコメントしていて、手を握りあいたい気持ちですが、
このスコアを作った素晴らしいチームの皆様のおかげで、かなりリアルにメアリーの創造の内部を見ることができました。

前述のメアリーのドキュメンタリー映画をとったCarol Bash監督もそうですが、
メアリーの音楽の再評価に努めている人びとは、この唯一無二の天才に対する深い尊敬と愛情に満ちています。

どうしてもドキュメンタリー映画が見たくて、ダメ元でCarol監督に直接メールを出したら、
メアリーのことを広げて伝えるためであれば喜んで提供すると言って、すぐにリンクとパスワードを送ってくださいました。

メアリーの音楽への無償の愛が次の世代に引き継がれています。私もこの大きな木の枝の先っぽとして、
素晴らしい音楽をもっと伝えていくべく、身が引き締まります。

さて、8/24はZodiac Suiteも演奏します。ピアノソロから採譜したものをスコアと照らし合わせ、
まずは一段スコアに作りなおし、そこからフルートソロで演奏できるように落とし込みました。演奏するのが楽しみです。

そのほかにもメアリーの曲をたくさん採譜しましたが、
メアリーはジャズ(スイング)の語法を五線紙に落とし込むことのできる数少ない一人だと言われている事、
とても納得しました。早速、作成した譜面をホテルのギグで使用してみましたが、
共演者に初見で渡しても100%成功するし、(そもそも優秀な人と組んでいるのですが)お客さまからの反応も、
メアリーの曲の時は拍手がひと際大きいように感じます。
スイングの感じが伝わる手応えが他のスタンダードとは一線を画すのです。